ゆらゆら帝国の世界

ゆらゆら帝国の世界

ゆらゆら帝国は90sオルタナ勢の中でも特に好きなバンドです。

坂本慎太郎の詞が好きな曲を語る。

ゆらゆら帝国

世界一SGの似合う男 坂本慎太郎。ファズトーンがぶっ飛んでます。ギターの裏面には師と仰ぐ水木しげる先生のサインが書いてあるのだとか。

曲はパンキッシュなガレージサウンドやサイケ。昭和歌謡のテイストもあり沢田研二の影響も公言されています。

ベース亀山千代のうねるベースラインもゆらゆら帝国の世界観に合っています。かぐや姫みたいな髪型で黒づくめ。やばい。

ドラム柴田一郎はバンドの心臓部。ライブ”ズックにロック”のドラミングが凄まじい。

すごい3人がすごいロックやってます。それがゆらゆら帝国。

すべるバー

ロックの詞の意味とかそんなに重要ではなくてアンサンブルのひとつとして捉えているところが自分にはあります。

洋楽なんかはあとから歌詞の意味を知ることもあって思ってたのと違うことも多々。

そんな自分ですが坂本慎太郎の詞には引っかかる何かがあります。

“すべるバー”の歌詞は何をか言わんや。男女の関係を歌ったもの。

悪趣味にも思えますがおおらかな表現で楽しくもなります。”タコ物語”なんかはよりインモラルでやばいかんじになっています。

ゆらゆら エッチな曲多いよね。

3×3×3

デーモンはたいがい犬のふりをして近所の子供たちを見張っているんだ

不穏な空気漂うこの曲。すわ誘拐事件か?

デーモンにかどわかされたS本ケズル君。

啓示をうけたのはいつでしたか?

70年代 アフタヌーンショーや”3時のあなた”で犯罪事件をフリップで考察するコーナーがあってガクブルでみていました。この歌で歌われるのはあの頃の昭和。

万博も終わり高度成長も落ち着き現実社会の問題が明るみに出てきた時代でした。

公害問題や交通事故も今より多かった。所謂団塊ジュニアの僕たちの原風景は夕暮れ時に砂塵巻き上がる工事現場やダンプカーが行き交う開発中の都市と自然の境界線。

ゆらゆら帝国で泣ける人は多いと思う。それは郷愁でケズル君を当時の自分に投影してみたり幼少期のイマジナリーフレンドとしてみたり。

デーモンは電気的啓示。ロック原体験的な何か。15年後のケズル君は19か20。シールドをギターアンプにぶち込んでガコーン。

タイトルからは3ピースバンドとしての成功の自負や演奏者→ギター→アンプの三位一体への礼讃を感じます。

数字の3も繰り返しでてくるキーワード。

“夜行性の生き物3匹”や”午前3時のファズギター”。神聖な数字。

フランシス・ベーコンの三対の祭壇画も連想しました。坂本さん多摩美出身なので影響があったのかも。暴力的かつ甘美。ベーコンもデーモンの啓示をうけたのは間違いないでしょう。

冷たいギフト

物心つくまえの死生観は漠然としていましたが絶対的なものでした。大人になってからは日常のなんやかんやでとりあえず先送りになっていきます。

子供のコーラスも印象的なこの曲。お化けだか幽霊だかに郵便で送られてきたもの。

冷凍で送られてきたこの荷物の中身はなんだろう?試されている”俺”。死んだふりで生きる日常に届いた荷物の中身は死の具象。しっぽの生えたデーモン。

そんなデーモンさえも可愛がり日々の生活は続いていきます。胸を締め付けられるこの曲。ゆらゆら帝国は生と死の境界の曖昧さ、サイケデリックな幻覚を見てるような体験が心地よく切ない。

学校へ行ってきます

まず学校にたどり着けません。登校中に現れる脅威に”でも僕は大丈夫”と健気。

これも死の彼岸が紙一重の境界線が描かれていると思います。ホラー漫画の冒頭のような静けさ。この先ロクでもないことが予感されます。

登下校は子供にはちょっとした冒険。昭和の価値観を押し付けられた子供達は命がけで登校していきます。

これもケズル君の物語かもしれないですね。

空洞です

ラストアルバムのタイトルチューン。

ゆらゆら帝国最後の曲。このアルバムのコンセプトは無抵抗。ノーガード戦法の激闘のすえ燃え尽きてしまった3匹。

解散の理由も彼ららしく清々しい。

バンドとして出来上がってしまった。

生死の彼岸をさまよいたどり着いた先、

タコでもロボットでもなく空洞です。

この頃のオルタナの空気感で無抵抗な態度が確かにあったような気がします。

シューゲイザー勢やペイブメント、BECKなんかが醸し出していた気だるさ。無気力だけどなんか生きてる自分。悪いことでしょうか?

恋愛の歌ですが身も心も奪われた男の自嘲がバンドとしての最後通告にも聴こえます。

“バカな子供”はアンチもふくめたファンのことかもしれないですね。

死者より

とうとう死もとびこえてあっちからの目線。

坂本慎太郎のソロになってからの曲です。

生き物のめんどくささイコール生きることの煩わしさが”死者より”の立場で歌われています。

これはシラフになったとも解釈できる気がします。つまり生命賛歌なのかな。

師と仰ぐ水木しげる先生が描く鬼太郎や河童の三平のドライな世界に通じるものがある気がします。

妖怪は生命ともお化けともつかず自然そのものの象徴として現れることもあり限りなく空虚な概念でもあります。

妖怪たちがロック好きかは知らないけどこの曲は妖怪が作ったみたいに思えます。

坂本慎太郎

この人は才能そのものですね。今回はゆらゆら帝国の詞の世界観に焦点をあててみましたが演奏技術もすごいです。

“無い‼︎”のポリリズムをギターで弾きながらボーカルをとる発想。まともがわからない。

美大出身の方で描かれる絵も素晴らしい。画集も出されています。2019のアメリカツアー中に描かれたシカゴのマリーナシティ(Wilcoのジャケで有名になった建物)のイラストも最高。

勝手にシンパシーを感じるのは詞で描かれる心象風景やアウトサイダーの孤独や開き直りに共感できるからです。どの世代にも多いと思う。

若い時は誰でも生きづらさを感じていたでしょう(今も)。そんな時に自分はゆらゆら帝国の音楽に会えて良かった。

虚無との上手な付き合い方を教わった。そんな気がするのです。

まとめ

グレープフルーツちょうだい