ぼっち・ざ・ろっくのこと2
まえも一回やってますがアニメのファーストシーズンちゃんと観たので感想など。
原作とアニメの違い
原作は”まんがタイムキララMAX”にて連載中。コミック1巻を買ってちょっと読んでみたんですがチューニングが全く合わずにそのまま放置。
そもそもこの”まんがタイムキララMAX”なる雑誌なんですがどの世代のニーズに応えているのか全く謎すぎて軽いカルチャーショックを受けました。
4コマ漫画が未だに雑誌媒体で連載されていることとたいして面白くないのにある程度のフォロワーが存在しこの度の”ぼざろ”のように跳ねるコンテンツを生み出すことが半世紀生きたオッサンには理解不能。(あとでちゃんとフォローします)
アニメ化では4コマの行間?を埋めるように日常系アニメやご当地アニメのメソッドが取り入れてあって漫画とは別物になっているようにみえます。
舞台となる下北沢や横浜はロケーションがしっかりされて(多分)いて金沢八景駅付近は聖地として注目を浴びることでしょう。(ちょっと行きたいかも)
好意的に受け入れられたのはアニメーションとしてのクオリティ(精密な背景)に対してデフォルメされたキャラクターや主人公の脳内イメージの差が演出に突っ込みをいれさせないテンポを生んでいて先入観なしで観ればほのぼのとした青春アニメとして成立していることだと思いました。(個人の意見デス)
そもそも原作がポンチ絵の4コマ漫画(はまじ先生 本当にゴメンナサイ)。ミニマルな表現からフルアニメーションに上手く変換されたのはキャラクターの役割分担がわかりやすく(記号化されたキャラクターは髪の色と声で差別化)ああ、これサザエさんなんだなあと気付きました。
アニメーションがリアルな表現である一方で先程述べた脳内のネガティブな妄想が実写だったりアイコニックな表現になったりするのはスポンジボブみたいなハイブローなギャグになっていてアニメ化での強みになっているのも人気がでた要因のひとつでしょう。
ぼざろのギャグ
コミュ症の主人公の躁鬱の起伏がわかりやすい絵でギャグになっています。ぼっちちゃんが溶けていったり顔のデッサンが狂ったり。目が血走り吐血(緑色)など。緑なのがポイントで人に非るもの(普通の人以下)の自嘲の表れなのですよ。ゆらゆら帝国の発光体の歌詞も思い出させます。
ギャグ担当は主人公であるぼっちちゃんですが周りにいるキャラクターたちの突っ込みでより強調されます。これはWEBアニメなどで多く見られひとつのパターンとなってきました。
WEBアニメの省エネ作画メソッドが原作の4コマ漫画と共通するところもアニメ化の際良い方向に働いたのでは。4コマの起承転結の割り振りがそのまま絵コンテとしても使えそうな気もします。知らんけど。
コミュ症の心理描写はオーバーに描かれてはいますが程度の差こそあれ誰でも経験のあること。主人公の周りにいる人たちは皆優しくぼっちちゃんに接していますが焼け石に水。進退を繰り返し人間的に全く成長しない主人公はリアル。
ぼざろのリアリティ
背景は実際の写真を元にデジタルで加工されたものが使われています。ライブハウス内や文化祭で描かれる秀華高校。
ファーストシーズン最終話 キタちゃんの機転で校内のライブ出演が決まった結束バンド。ロックバンドを描いた漫画では定番の文化祭での演奏。
トラブルも主人公のチートなギタースキルと良縁から回避。王道な展開。ライブの描写は涼宮ハルヒや映画リンダリンダリンダのリスペクトで閑散とした校内はぼっちちゃんの見ている世界そのもの。
演奏シーンは凝っていて虹夏の手首のスナップの効いたドラミングやリアルに描かれたギターなど見応えがありました。
ライブや練習後の風景もリアリティがあり原作では描かれていないキャラクターの心情が足元を写すだけで表現されるシーン(ぼっちときくりが会話する場面)にセリフに頼らない高度な演出だと感心しました。
リアリティのある背景や演出がある反面劇中に男性がほとんど登場せずぼっちのお父さんは顔すら描かれていません。
この物語は暴力やSEXとは無縁の性差のない世界を構築し昭和生まれの僕はこのマナーに当初中々馴染めなかった。
稚拙にすらみえた原作やそれを丁寧に解釈し再構築したアニメが若い世代に好意的に受け入れられたのは自分とは漫画やアニメの見方が変わってきているということなのかな?
ただですね自分も半世紀アニメや漫画を観続けてきたのでアニメ12話を見終えた時点で楽しむコツが段々わかってきた。
ギターとアニメとオッサンと
劇中で演奏される曲はテクニカルで下北系アニメソングといった感じか、ロック中年の僕はオルタナサウンドを期待していたんですが…初ライブの対バンの演奏はイースタンユースみたいな雰囲気もありました。
きくりのバンド”SICK HACK”はサイケサウンドと説明されますがちょっと違うような気がするなあ。3ピースバンドでメンバーの名前はバンド”八十八ヶ所巡礼”から。酒好きのベースボーカル。そのまんまやんけ。ヤマハのTRB1004(らしいです)。どうせならアトランシアのベースにすれば良かったのに。ちなみに結束バンドメンバーの名前はアジカンが由来。
登場人物たちが使用するギターや機材の説明は皆無。このへんはこのアニメ観たロックオヤジがあーだのこーだのと酒の肴にするのでしょう。
文化祭でのレスポールのトラブルは具体的な説明はないですがレスポールのペグの交換はよく耳にしますね。グローバー社のものに交換するのが定番。トラブルの原因がネックだとレスポールの場合致命的。
2台目として購入するのがヤマハパシフィカ。最近人気ありますよね。ぼっち仕様にカスタムするエスカッションやピックガードも売られているようですな。
ぼっちのパシフィカは611VFMというモデル。純正の鼈甲ピックガード、アイボリーのカバーのP90の方が僕は好みですね。アベフトシのテレカスが好きなので。
楽器店もアニメとのコラボレーションが増えてきて敷居が低くなってきてるのもいいことです。
ぼっちじゃない
誰もがポケットの中に孤独を隠し持っているとヒロトも歌っています。ぼっちちゃんのまわりはいい人ばかりですがご都合主義の展開でも相変わらず調子に乗ったり落ち込んだりの繰り返し。
アニメを観ていて全てが押入れの中の妄想なのではと邪な妄想をしてしまった。ファーストシーズン最終話のサブタイトルが秀逸で”君に朝が降る”とありコミュ症の心情を良く表しています。
各話のサブタイトルはアジカンの曲にちなんでいてエンドロールでは”転がる岩 君に朝が降る”のカバーが流れます。これにはやられました。第1話のサブタイトル”転がるぼっち”とここでつながります。原作者のはまじあき先生がアジカンのファンなのはわかっていたけど完全に舐めていました。イキってすみません。(アジカンは何曲かダウンロードしてる程度でファンとは言えないゴミカスです。ちなみに江ノ島の回で気づいた)
結束バンドがやると女性ボーカルもあって羊文学やリーガルリリーみたい。う~んオルタナやシューゲイザーぽいのもっとやってくれたらなあ。
ラストのモノローグは前向きな発言にもとれますが暗い玄関(見送りがいない)から一人で外出する姿にどこか不穏な雰囲気が漂いそこに魅力を感じました。
原作のほうも連載中とありアニメもセカンドシーズンが作られていることと思われますが陰キャ少女のネガティブな妄想が引き続き描かれればいいなと思いました。要するにいい話にはして欲しくないということ。
まとめ
アニメをみてからだと漫画の方も読みやすくなりましま。ぼざろさいこー(手のひら返し)
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