デデデデ(前編)みたってよ。

デデデデ(前編)みたってよ。

デッドデッドデーモンズデデデディストラクション(以下デデデデ)観てきました。前章を見終わった時点で原作ファンのサブカルクソ野郎の僕としてはホッとしたというのがまず正直な感想です。

原作者 浅野いにお先生が今回のアニメ化には多く関わっているとのこと(ホッとしました)。制作側の変なアレンジやギャグの劣化を危惧していたんですが少なくとも僕のイメージする門出やおんたんが動く姿が見れて幸せ以外なにものでもない。

ラストは原作とは違ったアニメオリジナルのものになるとのこと。まだ完結していないのでネタバレは極力控え所謂ディストピアものの系譜やあのちゃんの話。

高層と少女

イラストコミュニティサイトでよくみかけるモチーフで交差点や駅のホーム、高層住宅など都会に佇む少女のイメージ。この起源はエヴァの綾波レイ。

新海誠や細田守の作品でも夏空と躍動感のある少女のビジュアルはもはや1ジャンルとしての作法にもなっています。

これらのイメージでは郷愁と僅かに不穏な気配が漂います。デデデデでは精密な背景とデフォルメされたキャラクターとの対比が面白い。

足元に広がる世界の緻密なディテールの積み重ねがキャラクターに命を与えていきます。逆に宇宙船や歩仁のデザインは意味のない情報量の積み重ねにより既視感のない立体の不気味さを演出しています。

パンフレットとボールペン

ちょっと豆情報 

宇宙船や歩仁は身近にあるものをトレースしてデザインされているそうです。母船は鍋ブタ、小型宇宙船は木魚など。

閑話休題

浅野いにお最新作でも高層を飛び回る少女達が描かれていきます。ビルの谷間を飛び回るビジュアルイメージはスパイダーマンの影響でそれらを疑似体験できるVRの発展が大きいでしょう。

空を自由に飛びたいな

門出とおんたんも空を飛びますが自由には代償がつきものなようです。

ディストピア願望

ディストピア願望とか言ってるうちはまだ余裕があります。厨二の好きな荒廃した世界観やそれらを舞台にした作品。

1999年で世界は終わると思ってたのにあっさりクリア。ただそれに匹敵するなんやかんやを経ても毎日アニメが見れます。

絶望がエンタメになるって大袈裟な論調をうっかり言ったりしますが傑作を生むこともあります。(むしろ傑作揃い?)

まどマギはリアルタイム(2011)で観ていた若い世代の反響が波紋のように各世代に伝わっていくタイムラグが面白かった。

当時からSNSなど盛んでアイドルの方たちの推しがあったりなかったりでメンヘラや陰キャなどのネガティブなパーソナリティも市民権を得ていく過渡期だったような気がします。

かく言う私にもその波紋は届きオールタイムベストに入る作品の一つになりました。

まどマギはタイムループをテーマにしている点と少女二人の地獄めぐりなどデデデデと共通するとこも多くSFディストピアもののエポックな存在として重要な作品。

ほむほむとおんたんの行動原理は同じで目的のためには神にも悪魔にもなる存在。タイムループものの一つのテンプレートとしてまどマギの”環状線カタパルト方式”があるとすればその最新ともいえる(連載開始は、まどマギの少しあと)デデデデは不連続で多層構造(物語の構成上無事?着地)。ディストピアな未来は読み手に託されます。

少女とディストピア

少女終末旅行はチトとユーリがケッテンクラートで人類の滅んだ世界の”上層”を目指して旅をする日常系+ディストピアもの+ロードムービー的な漫画。

ケッテンクラートと軍装の少女。絶望しかないかもしれない世界ですがそれでもお腹は減ります。ちっこくてしっかり者のチト(ロリ担当)とデカくて楽天家のユーリ(グラマー担当)の対比がハイトーンの作画と相まって何もない世界、何もおこらない世界を際立たせています。

レーションも食べ尽くし目的地であった上層にたどり着くもラストは何も起こりません。それでも二人はまだ…

チトとユーリの終末旅行は悲劇でも喜劇でもなくディストピアでも毎日続いていく只々平凡でくそ退屈な日常。

ディストピアものが少女二人の物語として語られるのは男女だと創世記になり男2人だとエンタメではほぼ語り尽くされた感のあるラグナロクになるからでしょうか?

後戻りできないとこまできてしまったかもしれないけれどもうちょっとこの世界を眺めていたい。

あのちゃん(ちょっとネタバレあり)

幾田りらさんとあのちゃんへの賞賛がネットで上がっています。アニメの声優を俳優や文化人があてるのはよくあることですが今回のキャスティングは声をあてたお二人のパーソナリティ(特にあのちゃん)とシンクロしていてうまく機能していると思いました。

あのちゃんはどこまでがプロデュースかよくわからない(かなり頭のいい人だと思います)のですが大人を翻弄する姿にロックンロールの本質を思い出させてくれました。

試写会の時に浅野先生が今回のアニメ化がいかに大変であったかが”少し長くなりますよ”と前置きがあったうえで長尺語られていたのが印象的でした。

これは多分関係者への謝辞と原作者本人がこの作品を大事にしていること、まだまだ手を入れたかったことなど。

この時あのちゃんも一緒に登壇されていて

なげえよ金髪ジジイ

とか思ってたんだろうなあと妄想してますます推しになった。*注(浅野先生は確かに金髪ですがイケメンでジジイではありません)

フォローすると原作の映像化やアニメ化の際によく問題になる改変であったり集客のためだけのコンテンツ化に対する問題提起でもあったような気もします。

とにかくあのちゃんはおんたんそのものでした。個人的には小学生のまだまとも?なおんたんの演技に涙が出ました。

それと劇中まんがイソベヤンの主人公デベコの声がTARAKOさんで胸が潰れそうになった。ちびまる子ちゃんで語られがちですが僕にとってはザブングルのチル以外なにものでもない。さようならチル。数々の素晴らしい演技をありがとう。

地球がくそやばい(後編にむけての心構え)

アニメが初見の方は続きが気になってしょうがないと思います。日常系のフニャフニャしたキャラクターで油断してるとメンタルのど真ん中をえぐり殺されます。

浅野作品はホワイト化社会の警告やネット上での悪意などがニュートラルな立ち位置でそれらに翻弄される人たちの日常として描かれます。

陰キャだったりリア充だったりニートだったりが毎日世界の終わりを待ちわびています。

アニメからデデデデにエントリーした人は僕とは違うルートでこの作品を見れるのでちょっと羨ましくも思います。なのでこのまま前編の余韻に浸ったまま原作を読まずに後編をみることをお勧めします。後編では僕推しのマコトが活躍します。

まとめ

はにゃにゃふわー